開導百遠諱別修法要南阿蘇アスペクタにて奉修当山より四百七十一名参詣。
当山住職村上厚進師本寺不軽寺住職就任の為離山。
村上厚進師本寺住職就任当山兼務となる。
本寺村上御導師のご有志により低温サウナ完成。
不軽寺より松本清原師(第五世日奏上人)当山住職に就任。
直方市神正町の当山所有地に隣接する吉田氏より土地約八十坪及び建物の購入依頼ありこれを買収、信徒集会場とする(二階部分教務宿舎)
平成17年にお迎えする日淳上人御五拾回忌報恩の御奉公記念事業として新本堂建立を発願、三ヶ年計画による第一回勧財御有志勧募を始める。
第二回勧募三ヶ年を開始。
当山顧問矢野虎雄氏の十五年来の御尽力により懸案であった宅地八十二坪を買収。
同じく宅地百拾八坪を買収、約六百坪の土地を所有これによりて新本堂建設を計画す。同年門祖会に併せ創立六十周年記念奉修。
第三回勧募三ヶ年を開始。
直方市より明神橋橋梁架設のため用地買収の申出あり七十三坪を直方市へ売却。
前項売却地の交換分として柴田氏より五十八坪を直方市の斡旋により買収。
高野アサ子姉より北九州市小倉北区熊谷町の宅地建物の遺贈を受ける。
新本堂建設第一回委員会を開催、勧財ご有志現在高確認と今後の進め方検討、爾後完成まで三十二回委員会を開催検討す。
設計コンペに参加する設計事務所を決定。
高祖会奉修に際し各設計との新本堂完成予想図を提示、信徒による人気投票を行い次回の建設委員会にてサドシマエンジニアリング(株)に設計依頼を決定。
御荘厳勧財御有志三ヶ年計画発表募集開始。
明神橋橋梁架設工事終了により直方市より残余地のうち九十九坪の払い下げを受ける。
境内地より市道を挟んだ土地七十二坪が建物と共に競売に出たものを落札、建物(工場)は解体して第二駐車場とする。
住職松本清原師権僧正に昇進。
建設業者五社による入札の結果松井建設株式会社に建設をお願いすることとす。
本寺不軽寺村上御導師の奉修にて起工式を行う。
国有地十四坪の払い下げを受ける、これにて建設予定地六百四十坪が完全に一つの土地となる。
上棟式挙行。
新本堂庫裏完成、引渡しを受ける。
本寺不軽寺村上御導師の御奉修を戴き御遷座式及び入佛式を挙行御奉公に入る。
講有巡教をいただき門祖会を奉修するに併せて開堂式を挙行。
責任役員会を開催、近時とみに手狭になってきた納骨堂問題解決のため、旧本堂を解体し一階を多目的ホールとする会館を建設し、二階を納骨堂とする案を決定した。
第二期建営御有志勧募を始める。
住職松本日奏上人ご遷化。
門祖会に併せ創立七十周年記念奉修。
村上薫精師住職に就任。
納骨堂・会館建設委員会を設立、第一回委員会を開催し本堂前の駐車場に本堂と直結出来る納骨堂及び会館建設案に変更。
責任役員中川晴夫氏(不輕寺所属)より設計士中津留氏の紹介あり、基本設計案打合せ。
設計工房ワイ・アンド・アイと建築設計業務委託契約締結。平成二十二年五月直方市より納骨堂建設許可申請書を受領、関連書類準備作業に入る。
建築業者四社による入札の結果設計工房ワイ・アンド・アイに建築を発注する事に決定。
本寺不輕寺村上御導師の奉修にて起工式を行う。
直方市へ納骨堂建設申請書及び関連書類提出、旬日を以って許可交付さる。
本寺不輕寺村上御導師の奉修にて上棟式挙行。
納骨堂及び会館建築業者より引渡さる。
本寺不輕寺村上御導師の奉修にて開堂式挙行、納骨引越し。
本堂より納骨堂への渡り廊下及び玄関模様替え完成。
当山第二駐車場に隣接する宅地約百七十七坪を買収。
福岡県よりの証明を受け登記、駐車場とする。
講有名により住職村上薫精師佐賀和薫寺住職として転出。後任住職として大分松薫寺より住職小佐井日勝導師就任。
住職小佐井日勝師僧正に昇進。