直方市明神町に仮道場を移したるも、翌八年十二月都合により再び遠藤宅へお移り願う事のやむなきに至る。
再度移転を出願。
直方市頓野出山の山林を買収し、信徒の勤労奉仕により開墾整地、
直方教会所を建立。
直方教会所認証せらる、日厚上人は高弟石井清傔師に常在責任講師を命ぜられ、ご教導を頂く事になる。
開筵式を挙行、その後師命により乾昭啓師(第二世信常院日昇上人)と交代せらる。しかしながら山中のこと故、当時電灯を引込むにも民家との距離が遠く多額の費用を要するので、どうにもならず、無灯にてご辛棒を願う。
日厚上人の御有志により、仏立開導日扇上人ご真筆のご本尊を奉安せらるることとなり、親会場開筵以来ご奉安せられたる金丸ご本尊は、長崎教会(妙薫寺)へお移りになることとなる。
開基宮川日厚上人ご遷化。
嘉穂郡桂川町出身で、大阪市市岡に鉄工所を経営し、ご信心で成功せられた、清風寺のご信者で中本彦一氏が郷里のお寺にご尊像を御有志させていただきたいと申出があり京都の仏師松本氏(後の第五世松本上人の祖父)に依頼し第七世講有日淳上人のご開眼を戴き、昭和十七年四月一日ご遷座申上げる。
直方教会名及び教会規則認可せらる。
本門仏立宗と改宗せらる。
寺号認可せらる。同日乾昭啓師住職就任。
かねて師命により昭和十四年に市中への移転を出願後移転先を物色中のところ、たまたま信徒鐘ヶ江マツノ姉が郷里対馬へ引上げるので、土地建物を是非お寺で買って欲しいとの申し出があり、幹部役中協議の結果、信徒のご有志と併せ頓野出山の土地を売却することとし、貮拾五萬円を以って直方市山部中原田の鐘ヶ江マツノ姉所有の土地建物を買収。
信徒建築請負業中村信夫氏の協力を得、出山の本堂をその儘移して増改築を行い、昭和25年10月13日開筵式を挙行。
境内拡張のため、隣接地七十五坪八勺を買収、
納骨堂建立。
本堂及び庫裏の増改築を行う。
信徒一同の有志により、御燈籠及び仏天蓋奉納。
乾昭啓師文能昇進により乾日昇化主と称す。
住職乾日昇上人帰寂により、昭和42年8月11日まで三次日宝上人代務者としてご奉公。
刈茅日鏡上人兼務住職(当山第三世)としてご奉公。
宗徒減少の為寺院等級七級より八級へ降格認定せらる。
村上厚進師(当山第四世日登上人)住職就任。
本堂内装及び事務局舎等付属家屋の増改築を行う。
車置場として直方市神正町の宅地七十坪を壱千萬円にて買収。
教線伸長により寺院等級八級より六級に認定せらる。
高祖七百回御遠諱第二次記念事業として教務住宅及び厨房新築。
神正町車置場に二階建車庫新築。
寺院等級五級に認定せらる。
駐車場として直方市神正町の宅地百八十坪を買収。