1919年(大正8年10月)

・遠賀郡香月町楠橋遠藤乕次郎氏が大阪事妙支部第六大歓組組長小野山直蔵氏の教化を受け帰郷、

 その後教化の指導のもとに大正八年の末には、六戸の教化を成就。

1920年(大正9年11月)

・大阪事妙支部より西大歓遠賀組の組名を下付せられ、大正十年四月遠藤乕次郎宅を道場として改造、

 大正十一年四月親会場落慶式を行う。

 宮川清薫師(後の権大僧正日厚上人)の厳しいご教導により、弘通は徐々に進展数十戸となったため、

 昭和六年にお迎えする高祖六百五十回御遠諱を記念して、移転を発願